岡山の歴史遺産21 笠神の文字岩


笠神文字岩展望公園の模造石


笠神の文字岩
☆所在地:岡山県高梁市備中町平川字笠神川中
☆問合せ先: 高梁市教育委員会備中分室(0866)45-4515
☆アクセス:JR伯備線備中高梁駅から車40分
川上バスセンター行きバス25分終点下車、(乗換)新見・坂本西油野行き田原下車

☆概要:徳治2年(1307年)、日本でも無類の難所であった成羽川の上流笠神の龍頭の瀬を中心に、上下十ヵ所を掘削し船を通した船路開削工事の記念碑。
かつて備中・備後北部で生産された鉄は、八鳥(現在の哲西町)に集められ、険しい山道を2日がかりで成羽へ運ばれ、そこから船に積みかえられて川を下っていた。
陸路は、距離(28KM)が遠いのみならず、急峻な山道でたえず危険にさらされていた。
笠神の瀬を船が通れるようになれば、八鳥から小谷までは陸路を運び、そこから船で下ることがで半日あれば運べることになる。
この船路を開削するため、小谷から惣田間の龍頭の瀬上下十余ヵ所、日本無雙の難所の水運開発を願った四郎兵衛など地元の人々が発起人となり、尊海が大勧進の役をつとめ諸方に勧進すること10余カ月、さらに成羽善養寺の本山奈良の西大寺がこれを援助し工事奉行に実専をあたらせ、石切大工は伊行経であったことが判明している。
工事の頭領の伊行経は、奈良の東大寺の再建にあたって宋から招かれた伊一族であった。
寛政9年(1797)作州久世天領代官早川八郎左衛門政紀が、当郷巡察の途中この地を訪れた時に、この銘文を読みその所感を歌に託して傍らの岩に刻んだ。(早川代官の歌石)
しかし文字岩は昭和43年(1968)の新成羽川ダム完成に伴い湖水の中に沈み、今ではその姿をみる事はできない。
県道沿いの笠神文字岩展望公園に原寸大の模造石を残している。

湖中に沈んでいる笠神の文字岩(現物)





鎌倉時代に刻まれた古い歴史を誇る遺産でしたが、開発のために湖の底に沈んでしまいました…。
古い時代では、陸路より船路の方が安全でしかも早かったので、現在では思いもよらない場所に、先人の遺産が残されていたりするんですよね…。
レプリカがあるとは言え、せっかくの歴史遺産が適切に保存されていない事は残念の極みです。




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