岡山ゆかりの歴史人物16 倭建命(ヤマトタケルノミコト) 上

倭建命
景行天皇の皇子で、仲哀天皇の父とされる人物。諱は小碓尊(オウスノミコト)。
日本書紀』・『先代旧事本紀』では景行天皇の第二皇子、『古事記』では第三皇子。
母は播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)。

古事記』と『日本書紀』の物語の概要は同じであるが、主人公の性格付けや説話の捉え方や全体の雰囲気に大きな差がある。
古事記』では浪漫的要素が強く、主人公や父天皇の人間関係から来る悲劇性に彩られている。
一方、『日本書紀』は天皇賛美の傾向が強く、天皇に従属的である。


西征〜古事記
父の寵妃を奪った兄大碓命に対する父天皇の命令の解釈の行き違いから、小碓命素手で兄をつまみ殺してしまう。
そのことで小碓命は父に恐れられ、疎まれて、九州の熊襲建兄弟の討伐を命じられる。
わずかな従者しか与えられなかった小碓命は、まず叔母の倭姫命が斎王を勤めていた伊勢へ赴き女性の衣装を授けられる。
このとき彼は、いまだ少年の髪形を結う年頃であった(『日本書紀』では、兄殺しの話はなく、父天皇が一旦平定した九州地方で、再び叛乱が起きたため、16歳の小碓命を討伐に遣わしたとあり、倭姫の登場もなく、従者も与えられている。『先代旧事本紀』では(景行天皇)二十年(中略)冬十月 遣日本武尊 令擊熊襲 時年十六歲 按日本紀 當作二十七年とあるのみ。)。
九州に入った小碓命は、熊襲建の新室の宴に美少女に変装して忍び込み、宴たけなわの頃を狙ってまず兄建を斬り、続いて弟建に刃を突き立てた。
誅伐された弟建は死に臨み、その武勇を嘆賞し、自らをヤマトヲグナと名乗る小碓命に譲って倭建(ヤマトタケル)の号を献じた。

その後、倭建命は出雲に入り、出雲建と親交を結ぶ。しかし、ある日、出雲建の太刀を偽物と交換した上で、太刀あわせを申し込み殺してしまう(『日本書紀』では崇神天皇の条に出雲振根と弟の飯入根の物語として、全く同型の話が見えるが、日本武尊の話としては出雲の話は全く語られていない。
熊襲討伐後は吉備や難波の邪神を退治して、水陸の道を開き、天皇の賞賛と寵愛を受ける)。




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