2010-12-01から1ヶ月間の記事一覧

岡山ゆかりの歴史人物20 藤原公季(ふじわらのきんすえ)

藤原公季(956〜1029) 父は右大臣藤原師輔、母は康子内親王(醍醐天皇第14皇女)。閑院流の祖。天暦10年(956)、朱雀・村上両天皇の同母姉康子内親王を母として生まれた。幼名は宮雄君。 生後まもなく母が産褥のため薨去したことから、幼少時は姉の中宮安…

岡山ゆかりの歴史人物19 藤原行成(ふじわらのゆきなり)

藤原行成(972〜1028) 父は右少将藤原義孝(摂政藤原伊尹の3男)、母は源保光女。 世尊寺家の祖。 小野道風・藤原佐理と共に、三蹟の1人に数えられる。 天禄3年(972)右少将藤原義孝の長男として生まれ、祖父の摂政藤原伊尹の猶子となるが、祖父は同年中…

岡山ゆかりの歴史人物 18 平忠盛(たいらのただもり)

平忠盛(1096〜1153) 父は平正盛、母は不詳。平清盛の父。 伊勢平氏で初めて昇殿を許された平安時代末期の武将。 北面武士・追討使として白河院政・鳥羽院政の武力的支柱の役割を果たすとともに、諸国の受領を歴任し、日宋貿易にも従事して莫大な富を蓄えた…

岡山ゆかりの歴史人物17 平正盛(たいらのまさもり)

平正盛(?〜1121) 父は平正衡、母は不詳。平清盛の祖父にあたる。 平安時代後期の伊勢平氏の武将。北面武士。平維衡を祖とする伊勢平氏は伊勢国に地盤を持った武士で、中央では検非違使などとして朝廷の武力として活動していたが、さほど目立った存在では…

岡山ゆかりの歴史人物16 倭建命(ヤマトタケルノミコト)下

倭建命 東征 西方の蛮族の討伐から帰るとすぐに、景行天皇は重ねて東方の蛮族の討伐を命じる。 倭建命は再び倭姫命を訪ね、父天皇は自分に死ねと思っておられるのか、と嘆く。 倭姫命は倭建命に伊勢神宮にあった神剣天叢雲剣(草薙剣)と袋とを与え、「危急…

岡山ゆかりの歴史人物16 倭建命(ヤマトタケルノミコト) 上

倭建命 景行天皇の皇子で、仲哀天皇の父とされる人物。諱は小碓尊(オウスノミコト)。 『日本書紀』・『先代旧事本紀』では景行天皇の第二皇子、『古事記』では第三皇子。 母は播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)。『古事記』と『日本書紀』の…

岡山ゆかりの歴史人物15 播磨稲日大娘(はりまのいなびのおおいらつめ)

播磨稲日大娘(?〜122) 『古事記』『日本書紀』『播磨国風土記』に記される第12代景行天皇の皇后。日本武尊(ヤマトタケル)の母。針間之伊那毘能大郎女・印南別嬢とも称される。 古事記 「針間之伊那毘能大郎女」または「伊那毘能大郎女」と表記される。 …

歴史人物2 伝説上の斎王 倭姫命(やまとひめのみこと)

倭姫命(生没年不詳) 『記紀』に伝える古墳時代以前の皇族。 第11代垂仁天皇の第4皇女。母は皇后日葉酢媛命。日本武尊の叔母にあたる。 伊勢の地に天照大神を祀った(現伊勢神宮)皇女とされ、これが斎王の直接の起源であるとも伝えられている。 第10代崇神…

歴史人物1 伝説上の斎王 豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)

豊鍬入姫命(生没年不詳) 『記紀』に伝えられる古墳時代の皇族。『日本書紀』では豊鍬入姫命または豊耜入姫命、『古事記』では豊鉏入日売命。 崇神天皇の皇女で、母は紀国造荒河戸畔(あらかわとべ)の娘、遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆめまぐわしひめ)。…

岡山ゆかりの歴史人物14 和気広虫(わけのひろむし)

和気広虫(730〜799) 奈良時代の女官。和気清麻呂の姉。藤野別広虫女とも称される。 従五位下葛木連戸主の妻となるが、その後死別。 孝謙上皇に仕え、天平宝字6年(762)上皇に従って出家し"法均"と号した。 天平神護元年(765)に吉備藤野和気真人の姓を賜…

岡山ゆかりの歴史1 宇佐使(うさし)

宇佐使 平安時代まで、天皇の代替わりなど重要時には宇佐使という勅使が朝廷から派遣されていた。 宇佐八幡宮神託事件にちなみ、宇佐使は和気清麻呂の子孫である和気氏が務めるのが通例であった(ただし菅原道真が左遷された際などには藤原氏から人選されて…

岡山の歴史16 和気氏(わけうじ)

和気氏 備前国和気郡(古くは藤野郡と称した)を本拠とした豪族。 垂仁天皇の皇子鐸石別命(ぬてしわけのみこと)を祖とすると伝えられる。 別氏とも書く。 姓(かばね)は公(きみ)から真人(まひと)、宿禰などを経て774年(宝亀5)に朝臣の姓が与えられ…