岡山ゆかりの歴史人物14 和気広虫(わけのひろむし)

和気広虫(730〜799)
奈良時代の女官。和気清麻呂の姉。藤野別広虫女とも称される。
従五位下葛木連戸主の妻となるが、その後死別。
孝謙上皇に仕え、天平宝字6年(762)上皇に従って出家し"法均"と号した。
天平神護元年(765)に吉備藤野和気真人の姓を賜り、神護景雲2年(768)大尼に任じられた。
翌年宇佐八幡宮の神託を請うための勅使に任じられたが、この時は病弱で長旅に耐えないことを理由に、弟の和気清麻呂に代行させている。
その神託の結果が道鏡の意に反していたことから還俗させられ、弟の清麻呂別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名させられて大隅国へ、広虫は別部広虫売(わけべのひろむしめ)と改名させられて備後国へ、それぞれ配流に処せられた。
宝亀元年(770)に帰洛を許され、従五位下に叙せられた。
宝亀5年(774)清麻呂とともに朝臣の姓を賜り、以後昇任して延暦4年(785)には従四位上に叙せられている。
没後正三位が贈られている。
和気広虫は、孤児の養育に励んだことが伝えられている。





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