岡山ゆかりの歴史1 宇佐使(うさし)

宇佐使
平安時代まで、天皇の代替わりなど重要時には宇佐使という勅使が朝廷から派遣されていた。
宇佐八幡宮神託事件にちなみ、宇佐使は和気清麻呂の子孫である和気氏が務めるのが通例であった(ただし菅原道真が左遷された際などには藤原氏から人選されている)。
なお宇佐使は建武期に復活したが、再び停止された。
明治以降に復活し、大正時代から皇室から侍従職あるいは掌典職などの勅使が10年おきに派遣される勅使祭となって現在も続いている。


宇佐八幡宮神託事件
神護景雲3年(769)、宇佐八幡宮より称徳天皇孝謙天皇)に対して「道鏡皇位に就くべし」との託宣を受けて、弓削道鏡天皇位を得ようとしたとされ、紛糾が起こった事件。
道鏡事件とも呼ばれる。
同年10月1日(11月7日)に称徳天皇が詔を発し、道鏡には皇位は継がせないと宣言したため、事件の決着がついた。




今回は岡山出身である和気清麻呂の子孫が発遣されていた宇佐使について取り上げました。
ちなみに清麻呂の外孫には藤原氏宗という人物がおり、この氏宗の正室宇多天皇の養母藤原淑子としても知られています。




にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
にほんブログ村