岡山の歴史遺産49 撫川城(なつかわじょう)

撫川城

☆所在地:岡山県岡山市北区撫川
☆アクセス:JR西日本 山陽本線庭瀬駅より徒歩10分
☆概要
足守川下流の旧海岸線沿いに位置し、この土地は港の機能を有する立地であった。

永禄2年(1559)、 備中国の三村家親が備前国宇喜多直家に備える為に築かせたと伝えられている。
天正3年(1575) 三村氏が、毛利氏に滅ぼされてからは毛利氏の出城となり、配下の井上有景が、この城を守備するようになる。
撫川城は天正年間(1573-92)に毛利氏の城代として上山兵庫・植民部大輔などが在城し、いわゆる対織田氏のための「境目七城」(宮地山城・冠山城・高松城・鴨城・日幡城・松島城・撫川城)の1つとして用いられた。
しかし、天正10年(1582)には羽柴秀吉によって落城させられた。
 
城郭は、周囲に幅約15mの堀をめぐらせ、北西端からは足守川の水を引き入れている。
東西約85m、南北約55mの長方形の平面形で、南に大手門を備えている。
野面積みの高石垣が残されている。
平城としては県下屈指の規模で、壮観である。
城の南西にある太鼓橋は、江戸時代の戸川氏庭瀬藩の大手門跡といわれている。
また、現在城跡にある門は、江戸時代の撫川知行所の総門で、明治時代になって移築したものである。

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