2011-01-01から1年間の記事一覧

岡山の歴史遺産37 箭田大塚古墳(やたおおつかこふん)

箭田大塚古墳 ☆所在地:岡山県倉敷市真備町箭田 ☆アクセス:井原鉄道吉備真備駅下車、徒歩25分 ☆料金:無料 ☆内部見学時間:8時30分〜17時 ※見学は086-426-3851に事前連絡要。 ※休み:土・日曜、祝日 ☆概要 岡山県下3大巨石古墳の1つ。(他に牟佐大塚古墳…

岡山の歴史遺産36 楯築遺跡(たてつきいせき)

楯築遺跡☆所在地:岡山県倉敷市矢部 ☆アクセス:岡山自動車道岡山総社ICから国道180号を矢部方面へ車で8km ☆見学自由 ☆駐車場あり(無料) ☆概要 王墓山丘陵の北側に弥生時代後期(2世紀後半〜3世紀前半)に造営された首長の墳丘墓。 墳丘の各所から出土した土…

岡山の歴史人物37 荒木又衛門(あらき またえもん)

荒木又衛門(1599〜1638) 父:服部平左衛門 母:不詳慶長4年(1599)、伊賀服部郷荒木村に生まれる。 父の服部平左衛門は始め藤堂高虎に仕えていたが、淡路で浪人した後、備前岡山藩の池田忠雄に召し抱えられた。 平左衛門には、渡辺数馬(内蔵助)という同…

岡山の歴史人物36 浦上政宗(うらがみ まさむね)

浦上政宗(?〜1564) 父:浦上村宗 母:不詳備前国の戦国大名。 享禄4年(1531)、父村宗が摂津天王寺で戦死後に家督を相続。 この頃まだ幼少の身であった政宗は一族の浦上国秀の後見を天文7年(1538)ごろまで受ける。 その後、元服して天文9年(1540)初頭…

岡山の歴史人物35 浦上村宗(うらがみ むらむね)

浦上村宗(?〜1531) 父:浦上宗助 母:不詳備前・美作・播磨の戦国大名。 則宗の養嗣子である浦上祐宗の跡を継いで浦上氏の当主になったと見られるものの、家督相続の経緯、時期については永正年間前半の祐宗、村宗の動向を示す史料が少ないため、明らかで…

岡山の歴史人物34 洞松院(とうしょういん)

洞松院(生没年不詳) 父:細川勝元 母:不詳 異母弟:細川政元生年は寛正元年(1460)・同2年(1461)もしくは同4年(1463)と諸説あり定かではない。 のちに赤松政則の妻(後室)となる。 名は「めし」「めし殿」「局(つぼね)殿」「赤松うばの局」などと…

岡山の歴史人物33 赤松義村(あかまつ よしむら)

赤松義村(?〜1521) 父:七条政資(赤松氏の庶流) 母:不詳 養父:赤松政則 養母:洞松院(細川勝元の娘)室町幕府の播磨・備前・美作の守護大名。赤松氏当主。置塩城城主。 生年は文明2年(1470)・文明4年(1472)・延徳2年(1490)・明応3年(1494…

岡山の歴史17 浦上氏(うらがみし)

浦上氏 浦上氏は、武内宿禰系紀氏の流れを汲むとされる。 紀貫之または紀長谷雄の子孫であり、播磨国揖保郡浦上郷(浦上庄)が苗字の地である。 武家としては赤松氏とともに発展し、後に下克上を行い戦国大名としては、播磨・備前・美作に勢力を伸張した。鎌…

岡山の歴史遺産35 天神山城

天神山城 ☆所在地:岡山県和気郡和気町田土 ☆アクセス:JR山陽本線 和気駅から徒歩1時間(川本登山口) ☆概要 天文23年(1554)に戦国大名浦上宗景が築いた連郭式の山城。 天神山は和気町の市街地から国道374号を北上した国道沿いの天神山西(390m)の山上…

岡山の歴史遺産34 富山城(とみやまじょう)

富山城☆所在地:岡山県岡山市北区矢坂本町 ☆アクセスJR吉備線大安寺駅から徒歩10分(大安寺の登山口へ) ☆概要 岡山市街の北西に位置する標高131.3mの矢坂山上にあった単純連郭式山城。 別名万成城・大安寺城・矢坂城。 古代には吉備津彦命が山陽道に派…

岡山の歴史遺産33 金川城跡

金川城跡 ☆所在地:岡山県岡山市北区御津金川 ☆アクセス:JR津山線金川駅から徒歩10分(登城口の妙覚寺へ) ☆概要 備前国御野郡金川にあった城。別名玉松城。 松田盛朝(承久の乱の軍功により、鎌倉幕府から備前国御野郡を所領として賜る。)が承久3年(12…

岡山の歴史遺産32 亀山城跡

亀山城跡☆所在地:岡山県岡山市東区沼 ☆アクセス JR上道駅から徒歩20分 岡山駅から日生、瀬戸方面行きの宇野バス浮田校前停留所から徒歩5分☆概要 天文年間に浦上宗景配下の中山信正が築城した平城。 永禄2年(1559)、宇喜多直家が舅である中山信正を謀…

岡山の歴史遺産31 明善寺城跡

明善寺城跡☆所在地:岡山県岡山市中区沢田 ☆アクセス (1)岡山駅または天満屋バスステーションから岡電バス「岡電高屋」行きに乗車→原尾島住宅前下車、操山公園里山センター(沢田)まで百間川沿いに徒歩約30分。 (2)岡山駅または宇野バス表町バスセンタ…

岡山の歴史遺産30 熊山遺跡

熊山遺跡 ☆所在地:岡山県赤磐市奥吉原 ☆アクセス:JR熊山駅から車で40分 ☆公開時間:午前10時〜午後5時 ☆休日:年中無休 ☆入場料:無料☆概要 熊山遺跡とは古来より信仰の対象となっていた熊山(508m)の山頂付近にある、基底部と3段の基壇で構成された…

岡山の歴史人物32 宇喜多忠家(うきた ただいえ)

宇喜多忠家(1533〜1609?) 父:宇喜多興家 母:阿部善定女宇喜多直家の異母弟。同母弟に春家がいるとされるが、同一人物説もある。兄である直家を古くから補佐して、その創業の多くを助けたという。 特に天正6年(1578)に毛利氏とともに尼子軍が籠もる播…

岡山の歴史人物31 宇喜多興家(うきた おきいえ)

宇喜多興家(?〜1536又は1540) 父:宇喜多能家 母:不詳 子に宇喜多直家、忠家、春家がいる。大永4年(1524)、能家より家督を譲られる。天文3(1534)に父の能家が島村盛実により砥石城を攻められ自害した際、子の直家を連れ備後国鞆津まで落ち延…

岡山の歴史人物30 宇喜多能家(うきた よしいえ)

宇喜多能家(?〜1534)父:宇喜多久家 母:不詳赤松氏のもとで守護代を務めていた浦上則宗、浦上村宗に仕え、備前国豊原荘砥石城を領していた。 15世紀末当時、備前国は赤松氏の守護代として浦上氏が支配していた。 浦上氏の被官として、宇喜多氏の名が伺わ…

岡山の歴史人物29 宇喜多久家(うきた ひさいえ)

宇喜多久家(生没年不詳) 父:宇喜多宗家もしくは児島信徳 母:不詳 室町時代後期の人物。宇喜多能家、宗因、浮田国定の父。家督相続の時期などについては不明瞭だが文明2年(1470)に赤松政則の命で宇喜多宗家が西大寺に土地を寄進したという記録が西大寺…

岡山の歴史人物28 宇喜多直家(うきた なおいえ)

宇喜多直家(1529〜1582) 父:宇喜多興家 母:不詳天文3年(1534)、祖父能家が島村盛実らによって暗殺されたとき、6歳だった直家は父興家と共に放浪の人生を送る。 成人すると天神山城主浦上宗景に仕え、浦上家臣団の中で頭角を現す。 直家は策謀に長けて…

岡山ゆかりの歴史人物27 雪舟(せっしゅう)

雪舟(1420〜1506) 備中国赤浜(現在の岡山県総社市)に生まれる。 生家は小田氏という武家と言われている。 幼い頃近くの宝福寺に入る。(※少年時代の雪舟が禅師に叱られて柱に縛られた時に、流した涙を足の親指で鼠の絵を描いたエピソードが残されている…

岡山ゆかりの歴史人物26 栄西(えいさい)

栄西(1141〜1215) 父:吉備津宮(現在の吉備津神社)の権禰宜賀陽貞遠 母:田氏久寿元年(1154) 14歳で比叡山延暦寺にて出家得度。 以後、延暦寺、吉備安養寺、伯耆大山寺などで天台宗の教学と密教を学ぶ。 仁安3年(1168) 形骸化した日本天台宗に嫌気し…

岡山ゆかりの歴史人物25 豪姫(ごうひめ)

豪姫(1574〜1634) 父:前田利家 母:まつ 豊臣秀吉の養女尾張国荒子(現在の愛知県名古屋市)に誕生。 幼少の頃、子のなかった羽柴秀吉の養女として出される。 豪姫は秀吉や正室のおねに寵愛され、秀吉はおねに宛てた手紙の中で「もし豪が男であったら関白…

岡山の歴史24 法然(ほうねん)

法然(1133〜1212) 父は美作国久米(現在の岡山県久米郡久米南町)の押領使漆間時国(うるまときくに)。母は秦氏君(はたうじのきみ)。『四十八巻伝』(勅伝)などによれば、保延7年(1141)、9歳の時に源内武者貞明の夜討によって父を失う。 その際、父…

岡山ゆかりの歴史人物23 熊谷直実(くまがい なおざね)

熊谷直実(1141〜1207) 父は熊谷直貞、母は小沢氏。 武蔵国大里郡熊谷郷(現在の埼玉県熊谷市)の出身。 幼名を弓矢丸という。 その名のとおり弓の名手である。 幼い時に父を失い、母方の伯父の久下直光に養われた。 保元元年(1156)7月の保元の乱で源義朝…

岡山ゆかりの歴史人物22 源師頼(みなもとのもろより)

源師頼(1068〜1139) 父は左大臣源俊房、母は源実基。橘俊綱(藤原頼通の次男)の養子。 村上源氏。左近衛少将・左右中弁などを歴任し、寛治8年(1094)6月蔵人頭に任ぜられる。 承徳2年(1098)参議として公卿に列し、康和元年(1099)従三位に叙せられる…

岡山ゆかりの歴史2 坂上氏(さかのうえし)

坂上氏 後漢霊帝の後裔と言われ、応神天皇の時代に日本に帰化した阿智王(阿知使主)を祖とする氏族。 後漢最後の皇帝献帝の子といわれる石秋王の子が阿智王(阿知使主)であるとする。 その後、「高尊王―都賀直―阿多倍王」と続き、阿多倍王の孫が、坂上氏初…

岡山ゆかりの歴史人物21 坂上苅田麻呂(さかのうえのかりたまろ)

坂上苅田麻呂(727〜786) 父は坂上犬養、母は不詳。上田村麻呂の父。坂上氏は中国の後漢の霊帝の流れを汲むという東漢(やまとのあや)氏に繋がる家系で代々弓馬の道をよくする武門の一族として、数朝にわたり宮廷を守護した。天平宝字年中に授刀衛少尉に任…