岡山の歴史人物29 宇喜多久家(うきた ひさいえ)

宇喜多久家(生没年不詳)
父:宇喜多宗家もしくは児島信徳
母:不詳
室町時代後期の人物。宇喜多能家、宗因、浮田国定の父。

家督相続の時期などについては不明瞭だが文明2年(1470)に赤松政則の命で宇喜多宗家が西大寺に土地を寄進したという記録が西大寺文書に残されているので少なくとも家督相続はこれ以後であると思われる。

宇喜多氏の出自の多くは不明であるが、この久家の頃から動向が比較的明らかになってくる。
延徳4年(1492)に西大寺に寄進をしている。
年不詳ながら難波豊前に討ち死にした父の遺領の相続を認める旨を伝える文書が残っている(この文書の文中、赤松政則諡号「松泉院」が使われているため、この文書は政則死後、明応5年(1496)以後のものと思われる)。
また、明応8年(1499)には子の能家が浦上則宗に仕えて活躍しており、久家の名前もこれ以後に全く見当たらないのでこの頃にはすでに家督を能家に譲って隠居、もしくはもう既に没していたのではないかと推察される。







にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
にほんブログ村