岡山の歴史遺産36 楯築遺跡(たてつきいせき)


楯築遺跡

☆所在地:岡山県倉敷市矢部
☆アクセス:岡山自動車道岡山総社ICから国道180号を矢部方面へ車で8km
☆見学自由
☆駐車場あり(無料)
☆概要
王墓山丘陵の北側に弥生時代後期(2世紀後半〜3世紀前半)に造営された首長の墳丘墓。
墳丘の各所から出土した土器片の多くが壺形土器、特殊器台・特殊壺の破片である。
直径約43メートル、高さ4、5メートルの不整円形の主丘に北東・南西側にそれぞれ方形の突出部を持ち、現在確認されている突出部両端の全長は72メートルで同時期の弥生墳丘墓としては日本最大級。

主墳の頂上には木棺を取り囲むように5個の巨石が立てられ、また、斜面にも2列に地表の露出分だけでも高さ・幅とも1メートルあまりで20個ほどの列石がめぐらされ、北東側の突出部は団地造営工事のため破壊されている。
今ではその名残を一部にとどめているに過ぎないが、前方部状の突出で、およそ十数メートルほど伸びている。
その上面は幅約3、4メートルで、わずかに前面に向かって下降気味であるが、平坦に近い。
突出部の前面はかなり急な傾斜で2〜3メートルほど下がり、東西に走る小道に達しており、小道をわたると突出部の続きと思われる高まりが続く。
盛り土していたことが確認できる。
また円礫が二重三重に置かれている。
円丘につけられた遺構であることが分かる。 南西側の突出部は約20数メートルにわたって細長い幅数メートル高さ2メートルほどの尾根状のものが伸びている。
先端部の両側が丸く整形されていてその先端には大きな列石が貼られている。西部分には現在、給水塔が建っていて、今は見ることができない。

香川県高松市の猫塚古墳や奈良県天理市の櫛山古墳などと同じ双方中円墳であるが、先行的な形態をしている。
2世紀末に起こった倭国大乱が終わった後、瀬戸内海沿岸地方では、古墳造営の新しい兆しが見え、この地域で墳丘の造営の動きが見られるようになった。 このような大きな墳丘墓が、古墳時代より先に築造されていたのは、この地に葬送儀礼に特殊器台・特殊壺を用いる大きな政治勢力があったことを窺わせる。
その勢力の代表的な首長の墓であると推測されている。後の古墳時代中期には造山(350メートル)、作山古墳(270メートル)の大前方後円墳が造られる。

墳丘上には大正時代の初め頃まであった楯築神社に、代々伝世し、ご神体として神石(亀石)と呼ばれる全表面に毛糸の束をねじったような弧帯文様が刻まれた石が安置されていたが、現在はこの遺跡のそばの収蔵庫に祀られている。こちらは「伝世弧帯文石」と呼ばれる。

吉備津神社や鬼ノ城などと同様に、温羅伝説が残っており、吉備津彦命が温羅との戦いに備えて石楯を築き、防戦準備をしたと伝わっている。

昭和56年(1981年)12月9日、国の史跡に指定された。



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