岡山ゆかりの歴史人物27 雪舟(せっしゅう)


雪舟(1420〜1506)
備中国赤浜(現在の岡山県総社市)に生まれる。
生家は小田氏という武家と言われている。
幼い頃近くの宝福寺に入る。(※少年時代の雪舟が禅師に叱られて柱に縛られた時に、流した涙を足の親指で鼠の絵を描いたエピソードが残されている。)
10歳頃京都の相国寺に移り、春林周藤に師事、禅の修行を積むとともに、天章周文に絵を学んだ。

享徳3年(1454)頃、周防国に移り守護大名大内氏の庇護を受け、画室雲谷庵(山口県山口市)を構える。
寛正6年(1465)頃、楚石梵蒅による雪舟二大字を入手し、龍崗真圭に字説を請。以後、雪舟を名乗る。

応仁2年(1468)、遣明使船で明へ渡航
各地を廻り、約2年間本格的な水墨画に触れ、研究した。
天童山景徳禅寺では「四明天童山第一座」の称号を得る。
文明元年(1469)に帰国し、周防のほか豊後や石見で創作活動を行う。
没年は、確実な記録はないが永正3年(1506)に87歳で没したとするものが多い。(※文亀2年(1502)とする説もある。)
命日も8月8日(古画備考)、9月16日(雪舟伝)など諸説あり、最期の地は石見の大喜庵。益田牛庵(元祥)執筆の「牛庵一代御泰公之覚書」で「雪舟(中略)極老候而石見之益田へ被罷越(まかりこされ)於彼地落命候(後略)」と有り、終焉の他は近年の研究で益田と確定された、雪舟の生涯には謎とされる部分が多い。






にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
にほんブログ村