岡山の歴史人物31 宇喜多興家(うきた おきいえ)

宇喜多興家(?〜1536又は1540)
父:宇喜多能家
母:不詳
子に宇喜多直家、忠家、春家がいる。

大永4年(1524)、能家より家督を譲られる。

天文3(1534)に父の能家が島村盛実により砥石城を攻められ自害した際、子の直家を連れ備後国鞆津まで落ち延びる。

後に備前福岡の豪商阿部善定に庇護されると、善定の娘を娶り、忠家、春家の男児2人に恵まれたが、天文5年(1536)に病死。
没年は天文9年(1540)とする説もある。

墓所岡山県瀬戸内市長船町妙興寺

既に家督をゆずられ家長となっていたにも関わらず、抵抗もせず城を明け渡し逃亡したことを受け、興家は暗愚であったと後世評されるが、宇喜多氏の家名、幼い直家を守るためにあえて暗愚を装っていたという説もある。






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