岡山ゆかりの歴史人物25 豪姫(ごうひめ)

豪姫(1574〜1634)
父:前田利家 母:まつ
豊臣秀吉の養女

尾張国荒子(現在の愛知県名古屋市)に誕生。
幼少の頃、子のなかった羽柴秀吉の養女として出される。
豪姫は秀吉や正室のおねに寵愛され、秀吉はおねに宛てた手紙の中で「もし豪が男であったら関白にしたものを」と書き記している。

天正16年(1588)に15歳で秀吉の猶子岡山城宇喜多秀家正室として嫁ぎ、二男二女(秀隆・秀継・理松院(山崎長卿・富田重家室)・先勝院(伏見宮貞清親王室))を産む。

慶長5年(1600)、秀家が関ヶ原の戦い石田三成ら西軍方に属していたため、戦後に宇喜多氏は改易。
秀家は薩摩に潜伏し島津氏に匿われる。
この時に徳川家康の探索を避けるため秀家の死亡偽装工作をしたとされる。
しかし慶長7年(1602)、島津氏が徳川家康に降ったため、秀家は助命を条件に引き渡され、息子2人と共に慶長11年(1606)に八丈島流罪とされる。

その間に豪姫は備前岡山城より二人の娘、節・時と中村刑部、一色主善輝昌ら数名の家臣を伴い、兄の前田利長のもとへ戻され化粧料1500石を与えられる。 当時の金沢はキリシタン大名として名高い高山右近が客将として住み、多くの藩士がその影響を受けていた。
その後、他家へ嫁ぐことなく金沢西町に移り住み、賂を秀家に送り続け余生を送った。
寛永11年(1634)、金沢城鶴の丸にて死去。享年61。



随分むかしになりますが、現在「江〜姫たちの戦国」で茶々を好演している宮沢りえ主演で「豪姫」が映画化されていましたね。
見たことはありませんが…。




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