岡山の歴史遺産31 明善寺城跡


明善寺城跡

☆所在地:岡山県岡山市中区沢田
☆アクセス
(1)岡山駅または天満屋バスステーションから岡電バス岡電高屋」行きに乗車→原尾島住宅前下車、操山公園里山センター(沢田)まで百間川沿いに徒歩約30分。
(2)岡山駅または宇野バス表町バスセンターから宇野バス「瀬戸駅前」、「日生(ひなせ)・寒河(そうご)」、「八日市(ようかいち)」、「長岡団地」方面行きに乗車→原尾島住宅前下車、操山公園里山センター(沢田)まで百間川沿いに徒歩約30分

☆概要
永禄9年(1566)、宇喜多直家が岡山平野と西隣りの備中国への備えに築いた前衛基地の山城。
翌年、備前国への侵攻を図った備中国の三村元親に占領されたが、宇喜多直家は奪還を果たすとともに三村軍を迎え撃って完勝し、その完勝振りが明善寺崩しと呼ばれた。【明善寺の戦い】

城構えは操山山頂から北に延びた屋根の頂部に、背後(南側)に一段の腰曲輪を伴う中心郭(本丸)を構え、屋根筋に沿って北側に二段の腰曲輪と、西側に三段の腰曲輪を伴う準中心郭(二の丸)を配置した小型の連郭式縄張りの山城となっている。
城郭の構築は、各郭とも土壇築成で、現状では郭の段取りと背後を遮断する堀切りが遺構として確認できる程度であり、上部の建築物は柵や掘立柱建物を主体とした臨戦用城砦の構造であったと考えられる。





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