歴史人物2 伝説上の斎王 倭姫命(やまとひめのみこと)

倭姫命(生没年不詳)
記紀』に伝える古墳時代以前の皇族。
第11代垂仁天皇の第4皇女。母は皇后日葉酢媛命。日本武尊の叔母にあたる。
伊勢の地に天照大神を祀った(現伊勢神宮)皇女とされ、これが斎王の直接の起源であるとも伝えられている。
第10代崇神天皇の皇女豊鍬入姫命の跡を継ぎ、天照大神の御杖代(=依代として神に仕える者の意。ここでは文字通り「杖の代わり」として遷幸を助ける意味も含まれる。)として大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、神託により皇大神宮伊勢神宮内宮)を創建したとされる(御杖代は依代として神に仕える者の意。)
ちなみに、倭姫命伊勢神宮を創建するまでに天照大神の神体である八咫鏡を順次奉斎した場所は「元伊勢」と呼ばれる。
後に、東夷の討伐に向かう日本武尊天叢雲剣を与えている。
伊勢では、伊勢の地に薨じ、尾上御陵(おべごりょう)に埋葬されたと伝える。
伊勢の地で天照大神を祀る最初の皇女で、これが制度化されて後の斎王となった。


尾上御陵
伊勢神宮内宮と豊受大神宮(外宮)との中間に位置する伊勢市倭町の間の山(あいのやま)に倭姫命を埋葬したと伝えられる古墳があり(尾上御陵)、昭和3年(1928)10月宮内省より命の陵墓参考地に指定、現在宮内庁により「宇治山田陵墓参考地」として整備、管理されている。
また御陵に隣接する倉田山には大正11年(1922)に内宮の別宮として倭姫宮が創建され、そこで命を祀っている。


倭姫命への神託

『日本書記』垂仁天皇25年3月丙申(10日)条
この神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。
傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。この国に居(を)らむと欲(おも)ふ。

意味:伊勢は常世の国からの波が何重も寄り来る国であり、辺境ではあるが美しい国なのでこの国に鎮座しよう。






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