岡山ゆかりの歴史人物22 源師頼(みなもとのもろより)

源師頼(1068〜1139)
父は左大臣源俊房、母は源実基。橘俊綱藤原頼通の次男)の養子。
村上源氏

近衛少将・左右中弁などを歴任し、寛治8年(1094)6月蔵人頭に任ぜられる。
承徳2年(1098)参議として公卿に列し、康和元年(1099)従三位に叙せられる。

嘉承元年(1107)の年末、自分よりあとに参議になった藤原宗忠・源基綱が先に権中納言に昇進した[ことをきっかけに、師頼は朝廷への出仕をやめる。
加えて、天仁元年(1108)には3年間出仕しなかったことにより殿上籍を削られたが、このことにより却って師頼は隠遁の意思を強くしてしまい、父俊房の没後の大治年間に入るまで20年以上も出仕しなかった。
また、師頼の籠居は父の俊房を深く悩ませたという。

大治5年(1130)権中納言、同6年(1131)従二位権大納言、長承2年(1133)正二位、保延2年(1136)大納言に昇進。
議政官として右兵衛督・近江権守・備前権守・太皇太后宮大夫(令子内親王)・春宮大夫(体仁親王、後の近衛天皇)などを兼帯した。

保延5年(1139)12月、72歳で薨去





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