岡山ゆかりの歴史人物4 和気清麻呂


和気清麻呂(733〜799)
系譜
・父は磐梨別乎麻呂、母は不詳。
・姉は和気広虫(わけのひろむし)。

エピソード
道鏡事件
神護景雲3年(769)5月、道鏡の弟で大宰帥弓削浄人大宰主神の習宣阿曾麻呂(すげのあそまろ)は「道鏡皇位に付ければ天下は太平になる」という内容の宇佐八幡宮の神託を称徳天皇に奏上した。
称徳天皇は側近の和気広虫を召そうとしたが、虚弱な広虫に長旅は堪えられぬため、弟の和気清麻呂を召し、姉に代わって宇佐八幡の神託を確認するよう命じる。
8月、清麻呂天皇の勅使として宇佐神宮に参宮。
宝物を奉り宣命の文を読もうとした時、神が禰宜の辛嶋勝与曽女(からしまのすぐりよそめ)に託宣、宣命を訊くことを拒む。
清麻呂は不審を抱き、改めて与曽女に宣命を訊くことを願い出る。与曽女が再び神に顕現を願うと、身の丈三丈(およそ9㍍)の僧形の大神が出現。
大神は再度宣命を訊くことを拒むが、清麻呂は「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし」という大神の神託を大和に持ち帰り奏上する。
道鏡を帝位に就けたかったと言われる称徳天皇は報告を聞いて怒り、清麻呂をいったん因幡員外介に左遷の上、さらに別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名させて大隅国(現在の鹿児島県)に配流とした。
また姉の広虫も「別部広虫売(わけべのひろむしめ)」と改名させられて処罰された。
10月1日、称徳天皇が詔を発し、道鏡皇位を継がさないことを表明し、道鏡事件は決着する。
神護景雲4年(770)8月、称徳天皇崩御しすると、皇太子は白壁王(天智天皇の孫、井上内親王の夫)と決定され、道鏡下野国薬師寺へ配流となる。
一方和気清麻呂光仁天皇により従五位下に復位され、その後、播磨・豊前国司を歴任する。


和気清麻呂道鏡事件で有名な人物ですね。
この道鏡事件には謎の部分が多く、実際にあったかどうかも定かではありません(光仁天皇即位の正当化のための後付けの可能性も)
白壁王(光仁天皇)の即位により皇統が天武系から天智系と移りました。
天武系最後の女帝称徳天皇の評価を作為的に貶めた可能性も考えられます。
平安期以降の朝廷では天智天皇を直接の先祖としてお祀りし、天武系の天皇の存在は忘れられていましたから…。
まさに歴史は勝者に作られる…ですね。



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