歴史小話2 神になった怨霊たち〜御霊信仰〜(上)
御霊信仰
京都の上御霊神社には、「八所御霊」の1人として吉備真備が祀られています。
そこで今回は平安時代以降に盛んになった御霊信仰について取り上げたいと思います。
御霊信仰とは非業の死を遂げたものの霊を畏怖し、これを慰和してその祟りを免れ、安泰を確保しようとする信仰のことです。
原始的な信仰にあっては死霊はすべて畏怖の対象となりましたが、特に怨みをのんで死んだものの霊、その子孫によって祀られることのない霊は人々に祟りをなすと信じられ、疫病や飢餓その他の天災があると、その原因は怨霊や祀らざる亡霊の祟りとされていました。
御霊信仰が盛んになったのは平安時代以後のことで、特に御霊の主体として特定の個人、多くは政治的失脚者の名が挙げられてその霊が盛んに祀られるようになりました。
御霊信仰の代表的な例としては、上御霊神社に祀られる「八所御霊」が挙げられます。
八所御霊
・崇道天皇(早良親王。光仁天皇の皇子)
・井上皇后(光仁天皇の皇后)
・他戸親王(光仁天皇の皇子)
・藤原大夫神(藤原広嗣)
・橘大夫(橘逸勢)
・文大夫(文屋宮田麿)
・火雷神(以上六柱の荒魂。菅原道真とも)
・吉備大臣(吉備真備。吉備聖霊ともいう)
八所御霊の内容については諸説があり、上記のほか伊予親王(桓武天皇の皇子)、藤原夫人(伊予親王の母、藤原吉子)、観察使(藤原仲成か)とされることもあります。
祇園信仰
御霊信仰に関連するものとして、疫神信仰があります。
これは、いわゆる疫病神の疱瘡神やかぜの神を祭ることによって、これを防ぐもので御霊信仰に類似するものです。
全国的なものとしては、牛頭天王を祀る祇園信仰があります。
牛頭天王は、疫病や災いをもたらすものとして、京都の八坂神社に祀られ、祇園信仰がおこりました。
現在の祇園祭もこの牛頭天王に対する信仰から起こったものでした。