岡山ゆかりの歴史人物1 星川稚宮皇子(ほしかわのわかみやのみこ)
今回は岡山ゆかりの歴史上の人物を取り上げてみたいと思います。第1回目は『日本書紀』に記述が残る星川皇子についてです。
星川稚宮皇子(?〜479)
系譜
●父は雄略天皇、母は吉備稚媛(きびのわかひめ、吉備上道臣の娘)。
●同母兄に磐城皇子(いわきのみこ)=難波小野王(顕宗天皇の皇后)の祖父 がいる。
エピソード
雄略天皇は吉備上道臣田狭の妻稚媛を奪って妃とした。
その後磐城皇子と星川皇子が生まれる。
雄略天皇23年(479年)8月に雄略天皇が崩御すると、皇位継承をめぐり皇太子皇子(清寧天皇)に対抗して反乱を起こし、大蔵を占領した。
しかし清寧天皇に遣わされた大伴室屋・東漢直掬によって大蔵を放火され、星川皇子と稚媛のほか従った者の多くが焼き殺された。
吉備上道臣氏は星川皇子を助けようと軍船40隻を率いて大和に向かったが、殺されたことを聞いて途中で引き返した。
清寧天皇はこれを非難して、吉備上道臣が管理している山部を召し上げたという。
雄略天皇は教科書にも登場した倭王武のことですが、『日本書記』の記述と実際の人物像が一致しているかと言えば、甚だ疑問が残ります。
ゆえに星川皇子が実在したかも不明ですが、一応吉備王国ゆかりの人ということでピックアップしてみました♪
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