岡山ゆかりの歴史人物2 大来皇女(おおくのひめみこ)

前回までは主に『記紀神話』を舞台に記事を書いていましたが、今回からは実在が確認されている歴史上の人物を取り上げていきたいと思います。
岡山ゆかりの人物として大来皇女をピックアップしていますが、実はほとんど岡山と関係ないんです。詳しくは以下の記事で…。

大来皇女(661〜702)
系譜
・父は天武天皇、母は天智天皇皇女の大田皇女(おおたのひめみこ)
・同母弟に大津皇子(おおつのみこ)

生涯
斉明天皇7年(661)1月8日、斉明女帝みずからが大軍を率い筑紫に向かう途中の備前国大伯海(おおくのうみ)で誕生。
天武天皇2年(673年)4月14日、壬申の乱の戦勝祈願の礼として、父天武天皇の斎王に卜定される。[斎王制度の確立、初代斎王]
・朱鳥元年(686)10月3日、弟の大津皇子が謀反人として死を賜ったことから、111月17日に斎王を退下。
大宝元年(701年)、12月27日に薨去
大津皇子は処刑の直前に伊勢国大来皇女のもとに参っている。その時、大来皇女詠 んだ歌が残されている。
 わが背子を大和に遣るとさ夜深けて 暁(あかとき)露にわが立ち濡れし
 二人行けど行き過ぎ難き秋山を いかにか君が独り越ゆらむ


…つまり大来皇女備前国の海を通過中に誕生しただけなんです。大来皇女は好きなので、今回強引に取り上げてみました。
大来皇女里中満智子の『天上の虹』にも登場しますので、興味がある方は是非ご覧ください。



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