歴史小話3 盂蘭盆会

今週はお盆ということで、今回はお盆=盂蘭盆会について取り上げたいと思います。


盂蘭盆(うらぼん)
語源
サンスクリット語の「ウランバナ」の音写語。「ウランバナ」には倒懸(さかさにかかる)という意味がある。
・近年、古代イランの言葉で「霊魂」を意味する「ウルヴァン」語源だとする説が出ている。古代イランでは、祖先のフラワシ、すなわち「祖霊」を迎え入れて祀る宗教行事が行われていた。一説によると、これがインドに伝えられて盂蘭盆の起源になったと言われている。


盂蘭盆
盂蘭盆会とは、安居(あんご)の最後の日、旧暦7月15日 を盂蘭盆とよんで、父母や祖霊を供養し、倒懸(とうけん)の苦を救うという行事である。
この行事は本来インドのものではなく、仏教が中国に伝播する間に起こってきたものである。
現在「盂蘭盆会」のよりどころとしている『盂蘭盆経 』は、『父母恩重経』や『善悪因果経』などと共に、中国で成立した偽経であると考えられている。
したがって、本来的には安居の終った日に人々が衆僧に飲食などの供養をした行事が転じて、祖先の霊を供養し、さらに餓鬼に施す行法(施餓鬼)となっていき、それに、儒教の孝の倫理の影響を受けて成立した。
おそらくは目連尊者の亡母の救いのための衆僧供養という伝説が付加されたのであろう。



日本での盂蘭盆
日本では、推古天皇14年(606)4月、毎年4月8日 と7月15日に斎を設けるとある。
また斎明天皇の3年(657)には、須弥山の像を飛鳥寺の西につくって盂蘭盆会を設けたと記される。
更に斉明5年7月15日には京内諸寺で『盂蘭盆経 』を講じ七世の父母を報謝させたと記録されている。
後に聖武天皇天平5年7月(733)には、大膳職に盂蘭盆供養させた。
以降、宮中の恒例の仏事となり毎年7月14日 に開催し、孟蘭盆供養、盂蘭盆供とよんだ。
奈良、平安時代には毎年7月15日に公事として行なわれ、鎌倉時代からは「施餓鬼会」(せがきえ)をあわせ行なった。


盂蘭盆会の語源はインドのサンスクリット語ですが、儀礼の由来は中国なんですね。
確かに先祖供養などはいかにも中国の儀礼らしいかな…。
インド仏教の最終目的は「無」になること。すなわち「個」の消失。輪廻転生の輪から抜けることなどで、祖先供養を長期間するとは考えにくいですものね。


次回からはまた地元岡山の歴史を取り上げていきたいと思います。



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