歴史小話4 斎宮

斎宮
いつきのみや。古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に奉仕した斎王の御所。
平安時代以降は賀茂神社の斎王(斎院)と区別するため、斎王のことも指すようになった。伊勢斎王、伊勢斎宮とも称する。

斎宮天皇の即位毎に未婚の内親王(或は女王)の中から卜定によって選出される。
その後宮中に設けられた初斎院で約1年間、次いで宮城外の浄野(嵯峨天皇斎宮仁子内親王以降は嵯峨野)に造られた野宮で約1年間の潔斎を務め、卜定より3年目の9月、伊勢神宮神嘗祭に合わせて、天皇の御杖代(みつえしろ)として天照大神を奉祭するために、伊勢に発遣されていた。

斎王の任が解かれるのは、原則として天皇の譲位もしくは崩御の時であるが、父母の死去や本人の過失なども穢となり、退下しなければならなかった。
斎宮の起源は、『日本書紀』の伊勢神宮の創始伝承に登場する崇神天皇の皇女豊鍬入姫命、或は垂仁天皇の皇女倭姫命に求められるが、制度として整備されたのは、天武天皇斎宮大来皇女以降である。
この大来皇女から数えて、後醍醐天皇の斎王祥子内親王で廃絶するまで、約660年間に60名余りが斎王に選出された。

伊勢での斎宮の生活の地は、伊勢神宮から約20キロ離れた斎宮寮(現在の三重県多気明和町)であった。
普段はここで寮内の斎殿を遥拝しながら潔斎の日々を送り、神宮の三節祭(6月・12月の月次祭と9月の神嘗祭)には、外宮(15・16日)と内宮(16・17日)に参り、太玉串を捧じて拝礼する大役を務めた(往復とも途中の離宮院で一泊)。

神に仕える斎宮は穢れを避けまた仏教も禁忌とするため、それらに関連する言葉も禁じられた。
伊勢神宮で用いられた斎宮忌詞は仏教関係の内七言と仏教関係以外の外七言と別忌詞からなる。(『延喜式』より)

内七言
・仏―中子(なかこ)
・経―染紙(そめかみ)
・塔―阿良良岐(あららぎ)
・寺―瓦葺(かはらぶき)
・僧―髪長(かみなが)
・尼―女髪長(めかみなが)
・斎―片膳(かたしき)

外七言
・死―奈保留(なほる)
・病―夜須美(やすみ)
・哭―塩垂(しほたれ)
・血―阿世(あせ)
・打―撫(なつ)
・宍―菌(くさひら)
・墓―壌(つちくれ)

別忌詞
・堂―香燃(こりたき)
・優婆寒―角筈(つのはす)




10月17日(日)に保津川の川岸にて執り行われた斎宮御禊の儀に行ってきましたっ!
個人的に斎宮に興味があり、伊勢神宮斎宮歴史博物館には行った事があったのですが、再現儀礼は一度も見たことがなかったので、とても勉強になりました。




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