岡山の歴史遺産29 城東町並み保存地区

城東町並み保存地区
☆所在地:岡山県津山市林田町、中之町、西新町、東新町、勝間町など
☆アクセス:JR津山駅から市内循環ごんごバス東回りで9分、天神橋下車、徒歩3分
☆概要
城東地区は、城跡より宮川をはさんで東に位置し城下町の東の入り口の町である。
中世には、林田郷と呼ばれ繁栄していたと言われる。
しの地域はおよそ丹後山南麓の全域と考えられている。
近世の城下町の形成にともない慶長・元和年間に橋本町・林田町・勝間田町が城下に入り、寛永・正保年間に中之町・西新町・東新町編入され6ケ町の町並みが形成された。
この町並みの中を出雲街道が鍵曲りで屈折しながら東西に走っている。
城東の町の商いは、近在を相手とした雑貨の小商いを中心としているが、東新町は鎌、鍬などの鍛冶などの製造と商いが江戸期より今日まで連綿と続けられている。
明治になると中之町、西新町に高瀬舟の舟持があらわれている。
また、西新町には日本の近代科学の基礎を築いた幕末の洋学者箕作阮甫の旧宅がある。
城東の6ケ町の北の背後に上之町の武家屋敷がある。
東西に細長く延びており下級武士や足軽・中間の居住地である。
中央のやや北側を東西に東下りの道がとおり、出雲街道と13本の小路でつながれている。
この南北に延びる南下りの坂のある小路には西から西美濃屋小路、美須屋小路、国信小路、関貫小路、栴壇小路、長柄小路、松木小路、福田屋小路、蘭田小路、札場小路、大隈小路、東美濃屋小路、瓦屋小路と言った通りの名がつけられている。
この武家地は享保12年(1727)からは松平氏の石高が5万石となったため大半が明屋敷となった。
しかし、文政元年(1818)10万石に復帰したことにより家臣数は再び増加し、明屋敷も少なくなった。
武家地の北側の丹後山南麓には6ケ寺が連なり東寺町とも呼ばれている。
また、城東の氏神である大隈神社があり、変化に富んだ地形を生かした独得の景観を形成している。



地区内の主な施設
・城東むかし町家(旧梶村家住宅)
・作州城東屋敷
箕作阮甫旧宅 - 国の史跡(昭和50年指定)
・小坂田昌平家 - 呉服店
・津山洋学資料館



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