岡山の歴史13 美作国(みまさかのくに)

美作国
現在の岡山県の東北部。
州を付して呼ぶ際は作州(さくしゅう)と言う。
延喜式での格は上国、近国。

和銅6年(713)4月3日、備前国から英多郡、勝田郡、苫田郡久米郡、真嶋郡、大庭郡の6郡が分離し設立。
鎌倉時代は、幕府の有力者である梶原景時が、続いて景時を追って幕府の有力者となった和田義盛が守護となったが、両者とも政権内部の抗争に破れ族滅され、北条氏の領国となった。
この時代、久米郡苫田郡を中心に後に幕府を作る足利氏の荘園が多く存在した。
美作国は古代から歴史上一貫して美作を基盤とする安定勢力が出現せず、守護やそれとほぼ同期する実際の支配勢力は足利幕府期だけでも山名氏、赤松氏、尼子氏、浦上氏、宇喜多氏の間を幾たびも変遷。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに東軍に参与した小早川秀秋備前・美作両国を領するも、わずか2年で小早川家が滅ぶと備前との関係がなくなる。

小早川家断絶後は森氏が津山に築城して入封して津山藩が成立したが、5代94年の支配で改易された。
津山藩森氏に築かれた津山城は日本三大平山城の一つに数えられる。
その後、有力外様大名がひしめく山陽道に睨みをきかす意味で津山に徳川政権直轄の代官所が置かれ、美作国内は小藩に分割された。

津山が中心的都市となったのは、江戸時代に森氏が城下町を整備してからであり、それまでは吉井川を境に苫田郡久米郡に分割される土地に過ぎず、中心は二宮の西にある院庄であった。





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